
カウンセラーの國頭夜桜(くにとう やざく)です。

今回は「毒親育ちの人が、その呪縛から逃れ、自由で幸せな日々を手に入れる解決法」について、お話したいと思います。
國頭夜桜(くにとうやざく)は毒親に育てられました
私は、いわゆる「毒親」に育てられました。
簡単にはプロフィールに記載してありますので、宜しければそちらもご覧くださいね。
また、Instagramには、幼少期からの毒親の虐待の様子や、それから逃れて心身共に自由になるまでを綴っています。
宜しければ、Instagramの 「@y_kunitoh」をフォローして読んで下さると嬉しいです。
毒親による虐待の黒歴史
私がどのような虐待を受けてきたか、プロフィールには書ききれなかった部分を、少し補足したいと思います。
- 幼少期…主に「暴力」
- 学生時代…主に「ネグレクト」
- 社会人…実家を離れた私に対し、虐待をなかったことのように掌を返し、仲の良い親子ごっこという「執着」を始める
- うつ病発症後…親への嫌がらせの「仮病」と決めつけ、病という事実を認めず、実家に定期的に顔を出すよう「強要」する
- 医師から診断書を実家に送ってもらい、私への「接触を禁止」してもらうことで、一時しのぎをする
※ネグレクト…「育児放棄」や「育児怠慢」と言われる児童虐待の1つ
プロフィールには学生時代までしか記載してありません。
なので、ここでは、その後の毒親との関係を書いていきたいと思います。
社会人になってからの毒親の虐待は、掌返しと、私への「執着」
実家からの独立を強行
一刻も早く家を出たかった私は、初任給をもらうと同時に不動産屋で物件を決めて契約し、引越屋を手配しました。
初任給と貯金を使い果たしたため、次の給料まで食事は3日に一度しか食べられませんでした。
それでも、家から離れられるならどんなことでも我慢できる、そう思ったのです。
最初に住んだ部屋は、戦前からある古いアパートでした。
住民は、玄関の郵便ポストにゴキブリ退治スプレーをいれていて、部屋に帰る途中にみつけるとその場で退治するほど、ひどい有様でした。
でも私にとっては、これでやっと毒親から解放されると思うと、そんな環境でも天国のようでした。
毒親の私への執着の始まり
私が独立することを告げると、母は「親を捨てるのか」といって泣いて止めたのです。
それでも引っ越しを強行した私に、毎晩のように電話をかけてくるようになったのです。
母の電話の内容は、父や妹への不満や親せきや知人への愚痴など、長いときは8時間にも及ぶ時もありました。
次の日私は仕事なので早く寝たいのに、母は専業主婦で好きな時に好きなだけ眠れるのをいいことに、私に異常な執着をし始めたのです。
まだ若かった私は、仕事で徹夜することもありましたが、そんなことは全く平気でした。
でも母との電話は、少しでも母の気に入る受け答えをしないと電話口で怒鳴り始めるのです。
そのため母との電話は、地雷を踏まないようにほふく前進する兵士のような緊張感が伴い、電話を切った後の私は、いつも目の下に酷いクマが出来ている、と友人に言われる程でした。
仲の良い親子ごっこの始まり
そして何か些細な用事が出来るたびに実家に呼びつけ、どんなに仕事が忙しく疲れていても、帰らないとまた機嫌を損ねるのです。
子供の頃、あれほど家から追い出しておきながら、今度は家に呼びつける、その思考に私は混乱しました。
更に、母は、自分と私は子供の頃から仲が良かったと、忘れた振りなのか、本当に記憶をすりかえているのか、判断しかねる位、手のひらを返して、仲の良い親子ごっこを始めたのです。
親とのやりとりが面倒だった私は、その親子ごっこにつきあうことを選びました。
物質的に距離を取った後も、毒親の虐待からは逃れられない日々が続いたのです。
恐らく、社会人になり、それなりに稼ぐようになった私に、利用価値ができたのだと思います。
うつ病発症後の毒親の虐待とは
これもプロフィールに書いていますが、私は10年間ほど、うつ病で苦しみました。
私がうつ病になり、今迄のように呼びつけられても実家に帰ることも、電話に出ることも難しいという内容のメールを送った途端、毒親は激怒しました。
「病気なんて親に対する嫌がらせの仮病だろう」「病気かどうか顔をみて判断するから、とにかく実家に帰ってこい」と、毎日のように矢のような催促をしてくるようになったのです。
たまりかねた私は医師に相談しました。
それまで医師に、毒親に虐待されて育った過去を話したことがなかったので、医師は最初とても驚きました。
でも、医師は、だからうつ病が治らないのかもしれないね、といったのです。
そして、虐待されて育った人は、されずに育った人の何倍もうつ病になる可能性が高い、と教えてくれました。
自分のうつ病と毒親からの虐待を関連付けて考えていなかった私にとって、それはまるで青天の霹靂でした。
仕事の成功と健康まで私から奪うのか、そう思うと、私は余りにもやりきれない気持ちで一杯になったのです。
毒親育ちの人が、その呪縛から逃れ、自由で幸せな日々を手に入れる解決法
私は、ここまできて、やっと物理的に離れただけでは、毒親の呪縛からは逃れられないことを悟りました。
そして、真に毒親から自由になり、自分自身を幸せにしてあげる方法は何かを求めて、心理療法を学ぶことにしたのです。
最初に学び実行したこと
それは、私は自分が三歳から時が止まっていて、心も凍り付いて、毒親の呪縛から逃れられていないことを自覚することから始めました。
そこで、心理療法の中から、次の事を実行してみたのです。
- 三歳の頃の自分を、自分の中から取り出す
- その子を、まずはぎゅうっと抱きしめてあげます
- そして、無条件に自分で受け止め愛してあげる
- 毒親の呪縛が、単なる過去の記憶になるまで、それを続ける
最初は、三歳の頃の自分を、自分の中から取り出すといっても、うまくはいきませんでした。
そして、それがうまくいっても、私は親からの愛情を知らないので、三歳の頃の自分を愛してあげることができませんでした。
でも、諦めずに、繰り返し、少しずつ、それを行っていくうちに、三歳の頃の私は、心の中がぽかぽかとして、穏やかな気分になっていくのを感じたのです。
何年もそれを繰り返すことによって、三歳の頃の私は愛情を与えられて満ち足りた子供になり、私の中に戻っていきました。
それによって、毒親からの呪縛から解放され、過去はセピア色の写真になって、アルバムの一枚になったのです。
時間はかかりました。
途中で私には無理なのではないかと思ったこともあります。
それでも、心理療法の力を借りながら、諦めずに三歳の頃の自分と向き合うことで、現在の私は毒親から心身共に解放されて自由にいきることができるようになりました。
今でも、何かあると、三歳の頃の自分を「よしよし」といって、ぎゅーっと抱きしめて褒めてあげます。
そうすることは、自分で自分自身を癒すことが出来るようになり、何も恐れずにチャレンジすることができるようになったのです。
失敗しても、また自分で自分を癒せば良いのですからね。
カウンセリングを受けることで「迷わず」「正しい方法」で行うことができます
私は独学だったので、時間がかかり、時に迷って違う方向にいくことがありました。
でも、カウンセリングを受けることで、あなたが少しでも分かりやすく、実践しやすい方法を探して、導くことができるでしょう。
それによって、無駄な時間や労力や寄り道をせずに、毒親の呪縛から逃れることが出来ると思います。
私のように何十年も悩んだ人間でも可能だったのです。
きっと、同じような悩みを抱えている方も、同じように自由に幸せな日々を手にすることが出来ると思いますよ。


次回からは、最も多いご相談内容の「離婚」に関するテーマを色々な角度から書いて行こうと思います。
初回である次回は、「主な離婚原因」と離婚する夫婦の「4つの共通点」について」を、お伝えしたいと思います。

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